「失った」と思っていたし、そう言っていた。
この9月、北海道では大地震が起きた。
わたしの住む地域は震源地から14㎞ほどの近さだった。けれどわたしの暮らす家や家族や親族、スタッフの皆さんやそのご家族など身近なところでは、ニュースで報道されるほどの被害はなく、地震から3日目の夜、ライフラインはすべて復旧した。
地震とその二次被害に関わってくるのは、家の耐震性や基礎よりもその下の地盤なのだと知った。
「9月はあっという間だったね」
家族のほか、北海道在住の知人友人と会うたび、この会話になった。
そしてこころのなかで「この9月は失われた9月だった」と感じていた。
進行していたプロジェクトも、関係者さんの取り計らいですべて9月いっぱいおやすみさせて頂き。
ウェディングはこの春のうちにすべて断っていてこの秋に担当している案件はなかった。(個人の方から直接の案件はすべて受けるけれど、企業や事業者さんからの依頼による案件は今年夏以降の案件をすべて断っていた。)
わたしが責任者の一人として担当する責務のプロジェクトは、この9月2週目からの案件はすべて不思議なほど8月のうちに流れて(その当時はなんだかそれぞれ一瞬腑に落ちなかったがさっぱり諦められもした)、日程未定で延期になっていた。
これらがあいまって、外部でさせて頂いているおしごとはすべて、地震から9月の終わりまでオフになった。幸運だった、と思った。
そして8月の中旬からわたしがようやく取り組めるようになっていたこと、嫁ぎ先の農園の現場のおしごと。
畑に出て収穫のサポートをしたり、収穫した成果物を磨いたり切ったり選別したりして整え箱詰めしたりすること、選果場でのばあちゃんの手仕事の手伝いをすること、牛ちゃん (旦那さんとうちの牛の群れの総称を「もーもーちゃん」と呼んでいるので以降この日記内ではもーもーちゃんと呼ぶ) の面倒を見ること。
そういった農園の現場のおしごとをようやく8月中旬からしっかりじぶんの仕事としてできるようになり、9月は外部のおしごとが一切おやすみになり農園、家、家族のことに集中できた。
「できた」
するはめになった、とか、せざるを得なかった、とは思わずに、「できたな」と思った。
今日ふと、「失った月ではなく、得た月だった」と思った。わたしにとってこの9月のオフ感はたぶん「得た」が正しい。静かに暮らしながら、なにかを得た。
もちろん事実上、「失った」方も多くいらっしゃる震災だった。先日隣町の厚真町を通ったときに桁違いの凄惨さに驚いて、被災した、という言葉を痛感した。
みんなそれぞれの人生しか生きれないから、「わたしの立場では」で綴ります。
心身元気にわたしははたらけるので、元気な者としてできることを10月からまた取り組もう。
明日からの2日間、止まっていた打ち合わせがラッシュのように。ちょっとドキドキする!