SALVAGE YARDという取り組み。

昨日はわたしもそのプロジェクトの主催のひとり、「SALVAGE YARD(サルベージヤード)」のイベント「古材市vol.2」初日だった。

心にたくさんのことが残る一日だった。

https://www.instagram.com/salvage_yd/

プロジェクトの雰囲気や詳しくはこちらのリンクを見ていただくのが一番。

わたしがなぜこの取り組みをはじめたかのきっかけを、メンバーとのやりとりとインスタグラムにアップした言葉から転載します。

「新しいこと」
昨年9月、震度6強の地震に揺れた月、新しいことを始めた。

なぜこの取り組みを一緒に始めたいと思ったか、メンバーとのやりとりから転載!

…「わたしの事業コンセプトは「そのひとの思い出を”温ね(たずね)” 形にするしごと」です。

温ね、は温故知新の温。
ふるきをたずね、あたらしきをしる。

結婚式でもブランド立ち上げでも一枚の写真撮影でも、
あなたがなにかを形にしたいとき、その芯となる大切なことは、すでにあなたのなかに在るよ、と言いたかった。

前職で出会った一人暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんが、作った作品や家を、子どもに残したら迷惑だからと処分していることを知ったとき、
あと、世の中の遺影写真が、合成の背景や合成の着物をはめて作ることが多いのかもしれないと知ったときに、

そのひとがこの人生で育んだもの… 家や作品や趣味・親から継いだ着物やお気に入りのハンチング帽子、家族や子や孫、と、

たとえば一緒に写真を撮ったり、作品の一部を額装したり、思い出史にしたり、なにか形にしたものを手に取ることが出来たならほっとするんじゃないかなぁと思って、

それで「思い出をつくる」同世代の結婚式のしごとだけじゃなく、 「すでにある思い出を形に残す」上の世代へのしごともしたいなと思ったのが、独立したきっかけでした。

salvage yardの取り組みを祐季さんのFBではじめて見たとき、「ふるきをを大切に出来る取り組みだ」「絶対に、救われるひとがいる取り組みになる」と思いました。

自己実現、、と言ったらかたいですが、salvageyardでの自分はなにが出来るか、なにをしたいか。

自分の人生と長く交わらせられる点を考えたいなと思います。」

取り組みを5ヶ月続けてきて、心にひとつの違和感もない大切なプロジェクト。

こう書いてみて噛みしめる。「ひとつの違和感もない」はありそうでないことなのかもしれないのだ。

この3年間、本当に様々なプロジェクトに携わらせて頂いた。

年間予算1000万円越えのプロジェクトもあれば、個人の方の事業立ち上げをサポートするプロジェクトもあった。離れて暮らすお孫さんの初めての記念写真撮影を北海道で計画する素敵な祖母様との企画もあった。企業さんの商品のブランディングもあった。

その一件一件に、「ご本人」がいて、そして実際に形にする作り手のメンバーがいる。一現場に10社以上の50人以上が関わる日もあれば、一人きりでご本人と向き合う日もある。多くは、作り手の数人とチームを組んで実行する現場。

いろんなサイズと深度のプロジェクトに関われたからこそ、

自分が、なにが本当に居心地がよいと思うのか、じぶんの芯の部分と差異がないと感じるのか。

一呼吸おくと、本当は、もうわかる。

経験を積んだからわかる、という自分の世界が広くなって判断できるようになった感覚ではなくて、

たぶんこれまでずっとわたしは「知らないと、できる・できない、向いてる・向いていないの判断はできない」と根本的に思っていて、知らないもの、やったことのないことへのチャレンジをいとわなかった。

チャレンジとも思っていなかった。頂いた縁が素晴らしいと思って受けることは当たり前だった。

「もうわかる」の感覚は、「いったんここまででいいね」と、自分の立ち位置と立っている小さなその地点にようやく目が向いたような。

「ここでいいね」と自分の立っている地点をゆび指させるような感覚。

「引力にならないとだめだ」 2年前のちょうど今頃、父が電話の向こうでいった言葉を思う。

「出来なかったことの数は 新しいことに挑戦した数 悔しがった数が 得るものの数になる」4年前の日記に書いた言葉。

ここでいいね。

古材の持ち主 山崎さん親子

昨日のイベントのクロストーク企画終了後、古材の持ち主の山崎さんが、会場に長く残って色んな方とお話していかれた。

そろそろ出口に近く立たれていておかえりになるかなという頃、「古材もたくさん売れて、道具たちはもう売約済みの札ばかりですね」と話しかけたら、「え、本当ですか!最後に見ていこう」と会場に戻られた。お父様も「わたしも見ていこう」と戻られた。

そうして会場に戻り混み合う中、わたしを先頭に一列で道具たちのコーナーに向かっているときに後ろから「名残惜しい」と山崎さんが呟く声が聞こえた。

なんだか胸がいっぱいになった。いろんな人の善意が本当に数珠つなぎのようにつながってここまできたプロジェクト。

9月、地震からすぐの頃、農家の熊谷さんが同じ農家として被災したひとを慮り農業ボランティアを初めて行った。その日に山崎さんのお父様が傾いた納屋を前に30分、納屋のことをお話した。

大工の中村さんが支援の食料を運搬する道中で見た”ゴミ”の山に「なんとかしたい」と思った、「廃材、古物のレスキュープロジェクトを立ち上げたらどうかと思いつきました。」チームを作りたいと発信した。

「住」を仕事としている吉崎さんがその発信を拡散してくれた。わたしが受け取った。

そして9/24、厚真で納屋を前に、そのみんなが出会った。

「ひとを幸せにする仕事をしたい。だから、勇気をもって。」

2013年3月の日記。

ずっと変わらないことはこの一点。

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