パーソナルトレーナーとして活躍されている大好きで自慢の先輩がいる。
体調を崩した5月の中旬、八戸への船旅出張を予定していた前日から
ぽちぽちと月に一度ほど先輩のトレーニングのレッスンに行く習慣ができた。
5月の中旬、海辺に2時間いた結果浜風にやられたようで「わ、風邪引きそう…!」と感じたその翌日に打ち合わせをしながら熱が上がり、呼吸もどんどん苦しくなった自分の身体の弱さと、
会社に所属していない今、「あれ、休むとか休まないとかそんな考え方すらないじゃん」
ということに改めてびっくりして、
“いま私はどうしたい?” そして、 “休むより整えたい、攻めたい。” と、思った。
そのときから、月に一度程度ながらレッスンに通っている。

レッスンを朝に受け、その午後の予定は延期になっていたため、千歳の事務所へ戻って仕事をしようと札幌を発つ。
その車中でふと、”夕方の予定まで時間が空いているな、支笏湖を見たいな”とむしょうに思い支笏湖へ。


そして以前ウェディングフォトのロケ地として来たことがあった湖畔の木かげの、
そこに落ちていた流木に腰を着地させ、ひと息。

ひと息ついて、自分のまわりに視線を落としたら、小石 小石 小石。ころころ角が落ちまぁるくなった小石がたくさん!

そして、流木に腰かけたままおしごとのメールを返す。(贅沢ですね)

メールも落ち着いたら、さざ波や、カヌーで通り過ぎていく英語圏のファミリーを見て、少しぼんやり。
湖はとてもとても静かなことを知る。
そうして水面を見ていたら、色んな生き物が見えてきた。
大きな湖のなか横歩きで遠ざかっていく透明なエビ、小さくて細い小魚、…
「あーいたんだなぁ」
私たちが、ちょっとあくせくしているときも考え事をしているときも、彼らはただただゆらゆらする湖で脈々と変わらず営み続けているんだ。
そっかぁと、小〜さな虫やエビや魚たちに壮大な気持ちになる。
そろそろ帰るか、と足を乾かして、
さて、と並べた小石たちに向き合ったら、 その石たちをどうしても持って帰りたくなった。
どうしてもどうしても。
家にどうしても持って帰りたいと思って、どこに置くと似合うかすごく考えた。
でも、どこもしっくりこなくて、 本当はそれがなぜだかちょっとわかっていて、 「ここに在るから、素敵なんだ」って、 でもどうしても持って帰りたくて諦めきれなかった。こんなに形ある何かに諦めがつかないことがめったになくて、どきどきした。
手に乗せては木の上に戻して、を繰り返して、 ようやく決心がついて、全部の小石を木の上から地面に戻したときに、思った。
「やっぱり小さな頃から変わってないんだな」 小さな頃もこうやって石を持って帰ってきていたし、食べたお菓子の袋が捨てられなかった。
“もう出会えないかもしれない”と思って。
出会うと、どうしてもずっと関係していたくなって、そして大人になったいまもそれが自力で叶うと思っている。
でもだからこそ、たとえば時間の流れといった自分の力だけではどうしてもそれが叶わない物・事・人とのおわかれに、どうしようもないほど悲しくなるんだって、これまでの腹をくくれていないおわかれの時の悲しさの意味が解った。
過去は過去だし、小石は小石のあるべき場所がある。
どこまでも、過去の出会いや思い出を持っていくことはできない。
納得すればごくごく当たり前のことだし、世の皆さんはそんなことはもはやきっと当たり前なのだろうと思う。笑
昨日の”グレーの意味が解った”、から繋がる。
手に持っているか、持っていないか、の2択だけじゃないんだ、ということ。
もう持っていなくても、たしかに在った、のだ。それでいいんだよね。
「湖畔の小石をもとに戻した」
そこで諦めるということを知る。
“納得して断念する”こと。
これに腹をくくれたら、なんだか色んなものが軽くなるかもしれない。
そんな湖畔のしずかな納得。
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夜は苫小牧へ。今年2月、前職ラストのおしごと”苫小牧市役所 総合政策部 まちづくり推進課”さんと担当させて頂いた「まちづくりフォーラム」を起点に、大型イベントの開催をあれよあれよと今年に決めた凄腕ショップオーナーママさんのイベントが9/4に♪
なんと苫小牧・札幌など各地より80ブース近く出店されるそう!
自分が担当した企画がなんらか、次のどなたかの企画のきっかけになれるなんて嬉しいな。
盛り上がりますようにっ!
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